さようなら、わが愛しのオスカル

オスカルが砲弾に撃たれた…!

負傷したオスカルは、ベルナ−ルとアランらによって安全な場所に移された。

「…どうした…?、味方の大砲の音が聞こえないぞ…。撃て…、砲撃を続けろ…!
バスティーユを陥とすんだ…。撃て…、アラン、撃つんだ…!」

アランは、オスカルに敬礼して、彼の指揮の下で砲撃を再開する。

「聞こえるか!オスカル…!、味方の総攻撃の声だ!」

ベルナ−ルの言葉を聞いたオスカルは、薄れ行く意識の中でフッとアンドレを見た。

「アデュウ…」

再び、光と影が1つに重なり合って、オスカルは愛するアンドレの待つ天国へと召された…。

1789年7月14日、オスカル・フランソワ…絶命。

そして、1時間後…、バスティーユ牢獄は、民衆たちによって崩落されて、降伏の白旗を掲げた。

しかし、バスティーユでの民衆の勝利でフランス革命が終わった訳ではなかった…。

本当の意味でのフランス革命は、これから始まろうとしていたのである。

即ち、新しい社会制度の確立であり、今までの権力者たちに対する勝利者たちの裁きであった…。

事実、フランス大革命によって、流された血の多くは、戦いの最中ではなく、その後であったと言ってもよい。

バスティーユ崩落から5年…。
アランは、バスティーユが陥ちた後に姿を消して、妹ディアンヌと母親の墓を守りながら、海の見える田舎で百姓暮らしをしていた。

田舎暮らしをするアランを探しにベルナ−ルとロザリ−夫妻が訪ねて来た。

「そっくりだ…。オスカルとアンドレの墓も、ああして、アラスの小高い丘に並んで立っている」

「オスカルとアンドレか…、考えようによっちゃ、幸せな2人だったな。
革命が辿った、その後の醜さを知らずに死んだのだから」

1789年10月1日
革命は起こっても、相変わらず続く食料不足に女たちの怒りが爆発した。
その怒りは、一点、王妃マリ−・アントワネットへと向けられて、男たちも女たちに同調して、実に6千人を超える大集団がベルサイユに向かった(ベルサイユ行進)。

暴徒化した民衆が宮殿内に侵入し、警護兵達は襲撃されて、調度品の数々が破壊された。
この暴動で国王一家は、安全な場所に逃げ切って困を逃れた。

宮殿の中央広場に集まった数千人の民衆は、『王妃をバルコニーに出せ!』と激しく要求する。

そして、200年続いたブルボン王朝の最後の王妃マリー・アントワネットが終にバルコニーに出て、民衆に深々と頭を垂れた。

こうして、国王一家は民衆の要求によって、ベルサイユ宮から、パリの150年も使用されていなかった古宮チュイルリー宮殿に移された。

一方のスゥェーデンでは、フェルゼンが愛する、マリ−・アントワネットの状況を聞かされて、自らを奮い立たせようとしていた…。

「オスカル…、今は亡き我が心の友よ!私に勇気を…!
天に翔んだ君の、あのペガサスの如き白き翼を…、このフェルゼンに!」

フェルゼンは天を仰ぎ、降りしきる雨に打たれながら、親友オスカルに語りかける。

フランス革命が起こると、ポリニャック伯夫人を始め、殆どの王妃を取り巻いた貴族たちが外国へと逃げて行った。

そんな状況の中で、フェルゼンだけがパリへ戻って来た…!

「共に死ぬ為に戻って参りました。
貴女の盾となり、貴女を支える為に…」

1791年6月20日・夜
一台の馬車が密かにパリから抜け出した。
それは、フェルゼンが全てを賭けた逃亡計画であった。

ボンディで休憩して馬を取り替える。

「どうか…、もう、ご安心を。
ここまで来れば、スンベルスまで一本道。
そこには、陛下たちの国境越えの手はずを整えたブイエ将軍の騎兵隊が待機しております」

「フェルゼン伯…、ご苦労でした。
ここまで来れば安心でしょう。
ですから…、もう此処で貴方はお帰り下さい」

「しかし…、陛下!」

「此処でお別れしたい。
万一の時に外国人である、貴方を危険に巻き込みたくないのです」

「判りました。陛下…。
では、私は此処からベルギーへ亡命いたします」

「お気をつけられて…。
私は貴方の友情は、永久に忘れないでしょう。
おそらく、王妃も同じだと思います」

「では…!、どうか…、ご無事で!
ご成功を心より祈ります!」

それは、遂に光の中へ出る事が出来なかった恋にふさわしい別れであった。

そして、逃亡計画は失敗した。
王妃の顔は、その悪名と共にフランス全土に知れ渡っていた。
ヴァレンヌの町で正体がバレた国王一家は、そのままパリへ連れ戻された。
途中の町々では、民衆が馬車を取り囲んで罵倒して大騒ぎになった。

そして、その旅の恐怖は、マリ−・アントワネットの美しいブロンドを老婆のような白髪に変えてしまったという。

1792年8月、国王一家はチュイルリー宮から、マレー地区のタンプル塔へと移された。

そして9月、国民議会に変わって、国民公会が誕生し、同時にフランスは、王制を廃止して、共和国となる事を世界中に宣言した。

そして、革命裁判所で国王の裁判が始まった。
ピカルディー州選出議員フロレル・ド・サン・ジュストが説する。

「王は、罪の本体である!
私はルイ16世が、まだ、まばたきをしているというだけで鳥肌が立つ!」

革命指導者ロベスピエールも熱演した。

「彼は生きているだけで、既に罪を犯しているのだっ!」

361票対360票、たった1票の差で、ルイ16世の死刑が確定した。

1793年1月。ルイ16世は断頭台の露と消えた。

そして、マリ−・アントワネットは、子供たちと引き離されて、後に暫くして王妃マリ−・アントワネットにも死刑の判決が下る。

「ベルナール…、お前そんな事を話す為にわざわざ、俺ンとこへ来たのかい?」

「いや…、そうじゃない。
私は、オスカルとアンドレの事を君に聞きたくて来たんだ。
私は今、『フランス革命小史』という本を書いている。
その本で是非、2人の事に触れたいんだよ。
少なくとも君は、2人を知っている1人だ」

「じゃぁ…、尚更だ。死刑になるアントワネットの話なんか、関係ねぇよ」

「いや…、それが有るんだ。
もう少し、ロザリーの話を聞いてくれ」

ロザリ−は、コンシェルジュリ−牢獄に移されて来た、マリ−・アントワネットの身の回りの世話を願い出て、世話をした。

「あなたは…?ひょっとして…。オスカルと一緒に、いつか舞踏会でお会いした…?」

「はい!ロザリーでございます。少しでも、お慰めをと…、この役を願い出ました」

「懐かしい…、オスカル…!、聞かせて下さいな。オスカルの事を…。心が休まります」

マリ−・アントワネットはオスカルに思いを馳せた…。

1793年10月16日、マリー・アントワネット処刑…。

「これは、最後の日の朝に王妃様が私に下さった物です。
独房の中に有った化粧紙でオスカル様に思いを馳せて作られたと…」

ロザリ−は、アランに化粧紙で作られたバラの造花を見せた。

「そして…、こう言われたのです」

「ロザリーさん…、このバラに色を付けて下さいな。オスカルの好きだった色を…」

「そう言われて、改めて、ハッとしました。
私…、オスカル様が、どんな色のバラが好きだったかなんて、聞いた事がなかったんです…」

ロザリ−は、涙を溢れさせながらアランに話をした。

「オスカルは知らねぇが…、アンドレなら、きっと「白が好きだ」って言うぜ」

「じゃあ…、このままの方がいいですね」

「ああ…、それがいい!」

それから暫くして、ロベスピエールとサン・ジュストも政権争いに破れて処刑された。

そして、更に10年余…。
マリ−・アントワネットの死後に祖国に帰り着いたフェルゼンは、民衆を憎む心冷たい権力者となって、民衆の手により虐殺された…。

《完》



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